弘  実  館

このッページは弘実法造氏((社)下松工業会 元専務理事・下松市在住)から提供された資料を収載しています
資  料  明  細  
 
平成3年(1991年)10月14日付「読売新聞」…SL「弁慶号」校庭を走る 
平成3年(1991年)10月15日付「朝日新聞」…SL「弁慶号」校庭を走る 
平成3年(1991年)10月16日付「日刊周南日報」…SLよ下工生の雄姿となれ 
下津井電鉄を走った「下工弁慶号」を下松工業高校PTA・同窓会で見学した当時の児島駅での写真 
平成4年2月7日(1992年)「日刊新周南」…弁慶号柳井で復活 
「下工弁慶号」の下松市への寄贈経過のメモ 
「下工弁慶号」の下松市への寄贈時の記念テレフォンカード  
 
 

下松工業高等学校創立70周年で校庭を走った「下工弁慶号」
平成3年(1991年)10月14日付「読売新聞」記事
 
 
 

平成3年(1991年)10月15日付「朝日新聞」記事
   
 

平成3年(1991年)10月16日付「日刊周南日報」記事
 
 
(記事全文) 
「愛と正義」を胸に21世紀へ
SLよ!下工生の雄姿となれ
・下松・
 大正九年十二月、防長の経済実力者・久原房之助氏の多大な寄付により、山口県初の工業学校として創立した「山口県立下松工業高校」は大正・昭和・平成と三つの時代の中校是「愛と正義」のもと、関係者の総力で素晴らしい歴史と伝統を築き上げてきた。本年創立七十周年を迎える大正九年十二月、防長の経済実力者・久原房之助氏の多大な寄付により、山口県初の工業学校として創立した「山口県立下松工業高校」は、大正・昭和・平成と三つの時代の中校是「愛と正義」のもと、関係者の総力で素晴らしい歴史と伝統を築き上げてきた。本年創立七十周年を迎えるにあたり十五日、同校では記念式典を催し、出席者は改めて歴史の重さ・尊さを見一直すとともに、二十一世紀にむけて新たな決意を心に記した。
 記念式典では約千人の出席者が見守る中、阿部隆郎校長が「本校を卒業した一万四千四十二人の方々は、現在県内はもちろん、全国各地で活躍しています。創立七十周年をふしめとして生徒・教職員は一丸となり二十一世妃に向け、卒業生のみなさんの業に報いるためにも頑張っていきたい」と式辞、高山治教育長(代読)が「多くの先輩が築き上げた本校で、幅広い知識と豊かな心をもった人間めざし精進されることを願う」、河野博行県議会議長(代読)が「より高い理想をめざし、優れた工業技術者として巣立たれる事を願っている」と在校生に対し激励の言葉を、河村憐次下松市長が「開校以来継続して、校是「愛と正義」に謳われた人間尊重の精神の発揚に努められ、質実にして剛健な校風を育み、常に有為な工業人を多く世の中に送り出したことは、感嘆の念を禁じ得ない」と祝辞を述べた。
 また生徒を代表して生徒会長の鍵谷健一くんが「七十周年という輝かしい本校の歴史にまた新たな一歩を記せるように、私たち在校生一同、下工生としての誇りと自覚をもって、勉強にスポーツにますます精進し、未来へ向けて大きく前進していくことを誓います」と力強くあいさつを述べた。
 式典後はアトラクションとして、同校校庭でSL「下工弁慶号」の公開が行われ、同校機械科OBで、旧国鉄のSL機関士だった水井貴士さん(五五)の運転で、運動場に敷設された八十bの線路上を黒煙と警笛をあげて走った。 
 このSL「下工弁慶号」は、米国の「ボールドウィン小型機関車」を母体として、明治四十年に石川島造船所で六台製造されたうちの一台。昭和九年まで徳山海軍練炭製造所で石炭の運搬をしていたものを、同校が六十円(当時のお金)で譲り受け、原動機実習に使用していた。レールの幅は七百六十二ミリ、動輪は二輪、ボイラー上部に半丸形のサドルタンクのあるのが特徴で、三十年も校庭で雨露にさらされ展示されていたものを、昭和五十六年(創立六十周年記念事業)に同校職員・生徒が修復して運転し、一般公開した。
 その後、昭和六十二年九月には、瀬戸大橋開通記念として岡山県倉敷市に貸与され、観光客を楽しませていたが、本年三月に創立七十周年記念式典での一般公開のため再び下松市に戻り、生徒・教員・OBらにより復元・整備が進められてきていた。
 大観衆が見守る中、ポーッと警笛、黒煙をはきながら雄然と走るSLに対し拍手が巻き起こり、わずか八十bの線路を何ども走行した。十二席しかない座席にぎゅうぎゅう詰めに腰をかけ、試乗を楽しむ来賓らの額は郷愁にさそわれてかどの顔もニコニコと笑みをたたえ、名残り惜しそうに席を立っていた。 開校七十年の記念すべき日に、SLがかつての勇姿を披露したことは、二十一世紀の社会を構築する若き生徒たちに大きな勇気を与えてくれたことに違いない。
 
 

瀬戸大橋開通記念で下津井電鉄を走った「下工弁慶号」

 この写真は、本・四橋「瀬戸大橋」の開通を記念して下津井電鉄を走った「下工弁慶号」を下松工業高校PTA・同窓会で見学した当時の児島駅での写真です。なお、下津井電鉄「児島駅」、駅舎竣工披露は昭和63年3月12日に実施されました。
 


柳井卸団地で走った「下工弁慶号」
平成4年2月7日(金)の「日刊新周南」に「下工弁慶号」が柳井卸団地で走ることになった経過が紹介されています。
 

(記事全文)
 
“弁慶号”柳井で復活
・下松工高・
下工弁慶号、柳井卸団地で
OB山本さんの熱意実る
 日本に一台しかない明治四十年製の蒸気機関車で、動態保存されている国産機関車では最古という下松工業高校 (阿部隆郎校長) のシンボル 「下工弁慶号」 は、昨年の同校七十周年記念式典で雄姿を全校生、父母に見せたが、耐用年数の限界もあって永久保存される予定だった。 しかし同校OBで柳井市の協同組合柳井総合卸センターの山本真太郎専務 (七〇) が熱心に働きかけて”復活″が決まり、三月三日から十一月八日まで、同センターが運営する同市宮本浜の柳井卸団地で運行することになり、レールや車庫の工事が始まった。弁慶号の県内での一般向けの連行は十一年ぶりだけに人気を集めそうだ。
明治の“動態保存”ただ一台 
  「下工弁慶号」は明治四十年、アメリカのボールドウィン機関車をモデルに東京の石川島造船所で作られた。全長四・〇五b、高さ約二、四b、幅一・五三b、五・五トンの小型機関車。明治時代の機関車独特の長い煙突、美しい車体に動輪二輪、ボイラー上部に半丸型のサドルタンクがあるのが特徴で、緑色で前部中央には同校の校章と、「下松工高」のプレー一トかある。
 石川島造船所では六台作られ、現在は一台しか残っていない貴重なもの。昭和九年まで徳山海軍練炭製造所で石炭運搬に使われていたが、同校が六十円で払い下げを受け、原動機の実習に使っていた。そのあとは三十年間も放置して雨ざらしのままだったが、創立六十周年を記念して昭和五十六年に教員と生徒が力を合わせて修理をし、同窓会の下松工業会の寄贈による車庫も完成して記念行事でグラウンドを走った。

  昭和六十二年には鉄道マニアの人気が縁で岡山の下津井電鉄に貸し出され、瀬戸大橋開通記念イベントのメイン行事としてフラワーパーク内を走り、大きな話題を集めた。昨年は久しぶりに同校に帰って再び生徒たちが整備、創立七十周年の記念行事としてこれも生徒たちが敷いたレールの上を元気よく走り、生徒やOB、父母らを喜ばせた。
 山本さんと下工同期生
  国道188号から中国電力柳井発電所に向かう途中にある柳井卸団地で専務を務める山本さんは、弁慶号が入った翌年の昭和十年に同校に入学しており、柳井から下松まで汽車通学していたが、ちょうど弁慶号が実習に使われ始めたころだった。
 山本さんは応用化学料だったため、授業などで弁慶号にさわる教会はなかったが「当時は運動場のネット裏に置いていて、小さい珍しい機関車だったので子供心に見ていて面白くて仕方がなかった。いっしょに運動会もしたし、いわばり“同期生”です」と振り返っている。
 今回の復活は昨年弁慶号が七十周年で運行されたことを知って「同期生がまだ元気でやっていることを知って、大変な感激を受けた」山本さんがこの十一月八日、柳井卸団地が創立二十周年を記念したイベント「卸団地まつり」を開くことから「この目玉に」と考え、合わせて同団地の活性化も狙おうと企画した。

 弁慶号はボイラーの手入れも行き届いていたが、常にボイラーをたいて調整する必要もあり、車検も切れる寸前だったため、昨年の運転を最後に学校で永久保存される予定だったが、山本さんの申し入れに学校側も快諾、卸センター側が車検の手続きをして 三月から運行することが決まった。
 「愛好者保存は英国風」
 弁慶号の運行は昨年は学校内部が対象だったため、一般への公開は県内では十一年前の同校六十周年のとき以来になり、人気を集めそうだが、山本さんは柳井卸団地での運行をきっかけに弁慶号の由来をくわしく説明しようと東京の交通博物館に行って資料を調べ、各地の資料も取り寄せて研究したほど。同博物館の肥沼恵一学芸課長によると、蒸気機関車の国産第一号は明治二十六年に作られ、民間企業による第一号は明治三十六年。弁慶号の製造はそのわずか四年後で、その後、石炭などの運搬用に小型機関車は多く作られたが、弁慶号はその中でもとくに古く、また石川島造船所はあまり蒸気機関車を作ってないため価値は大きいという。
 また動ける状態のままで保存されている機関車の中では国産では国内最古のもの。肥沼課長は「機関車を動かして保存することは欧米ではよく見られるが、日本では安全基準も厳しいため大変なこと。ほかのところでは町づくりや観光のために保存されているケースが多く、下松工高のように生徒や先生たちの手で保存されてきたことはイギリスの愛好家たちの例に近く、国内でもまれでしょう」と賛ている。
 
300万円以上かけて整 
 柳井卸団地ではこれを機会に団地裏の松林を公園に整備、早速レールを敷く工事を始めた。また歴史的な価値のあるものであることから機械警備を完備した車庫も製作する。外からも見られるよう防犯用のガラス張りにする予定で、整備費は三百万円以上になる見込み。 
 レールも下松工高で使ったものと、今回のために下津井電鉄から特別に取り寄せたものを合わせて計二百bにわたって敷く。客車も同校にあるものと同電鉄から取り寄せたもので二両編成で運行する。運転士は旧JR柳井機関区のOBが担当、乗車料百円で、予約で乗車を受け付けていく予定。
 山本さんは「昨年元気で走ったことを知ったときはよう生きちょった、と感激した。同期生が元気で生きているのと同じ感じがする。たくさんの人に喜んでもらいたい」と張り切っている。
   


「下工弁慶号」の下松市への寄贈経過
(メモ)
 
 

記念テレフォンカード
 (うち)
(そと)